ホーム > まち・環境 > 定住へのお誘い > 移住・定住者へのインタビュー > Mさんにインタビュー
ここから本文です。
更新日:2019年10月1日
赤穂市に移住される前に他の市町村も検討されたのですか。
移住情報の豊富なロングステイ財団(東京)のイベントに通いだしたのは15年位前からのことだったと思います。私は65歳でいわゆる現役の第一線を退き、その後10年間個人コンサルタントとして仕事をしてきました。老後というか第2の人生をどこでどう過ごすか、50歳代後半から考えてはいたのですが毎日定時に出勤しなければならない頃は、気持ちの上でのゆとりがなく結果的に準備は具体化できなかったですね。私の移住先、と言うよりは一時転居先探しのきっかけとなったロングステイ財団についてちょっとお話しておきたいのですが…財団の一番大きなイベントは毎年11月に東京で開催されます。現在は各地で毎月世界各国の情報が取れるセミナーなどがあるようです。東京でのイベントでは世界各国(今は30ヶ国位?)から関係者が来日してそれぞれの出展ブースで相談にのるほか住居、利便施設、医療施設など、さらには滞在VISAの取り方、その国で日本の年金の受取り方とかまで紹介するセミナーもあります。
最初の頃は海外での居住情報だけだったと思いますが、いつからか日本国内の市町村の出店ブースが増え、今では日本勢の方が多いでしょうね。地方の人口減少、田舎暮らし指向などの流れのせいでしょうか。
私は公私共に海外に行くことが多かったせいか一度は海外でゆっくり暮らしてみたいという願望がありました。還暦過ぎに移住とか定住とかいうと終の棲家というようなイメージがありますが元気な内に海外生活も良いのかなという程度のものでした。そこで67歳以降5回スペイン(コスタデソル・地中海沿岸)、オーストラリア(ゴールドコースト)、カナダ(バンクーバー)、ハワイ、マレーシアと現地調査に行きました。マレーシアは財団調査では一番人気を続けている国で2回行き、ほぼ決めかけたことがありましたが年々の高齢化で残念ながら海外生活にはふんぎりがつきませんでしたね。
そんな訳でここ数年はロングステイ財団以外の移住促進イベントも含めあちこちに出かけてはいましたがいずれも決定打がなく過ごしておりました。然し傘寿を目前にまたぞろ移住意識が生まれ、これが最後のチャンスかと…。私は信州の安曇野で生まれそこで18歳の高校までを過ごしました。生家も健在で知己も多く、北アルプスの景観が心象に残る故郷に帰ろうかと鮭みたいな帰趨本能が強まりました。平成26年は物件探しの年になりました。松本市内か安曇野か、それとも都会の香りもする軽井沢か、それとも静かな蓼科高原か、住宅は戸建てにするかマンションにするか…。そう思い悩むうち、ひょんなことから赤穂の中古マンションを選択し昨年2月に60年住み慣れた東京を離れて転居しました。
現役生活を引退後の私にとっては何年越しかの大きな課題だった転居はこうしてあっけなく解決しました。その動機はいたって単純でお話しても笑われるだけですが…。
その動機とは何だったのですか、また何故赤穂を選ばれたのですか。
私にはよく懐いてくれる小さな女子の孫がいて毎月遊びに来てくれていました。その子が4歳の時突然東京から相生に転居することになり、私達夫婦はやむなく幼稚園の運動会、クリスマス会など機会をとらえて年3~4回相生に通うことになりました。来るのは良いのですが帰りの別れ際いつもつらい想いをしていましたがそんなある日、その子が私と2人だけの時突然ぽつんと「じいじ、こっちに住んで」と言ったんです。子どもながらに別れが悲しかったんでしょうね。その一言が私の背を押してくれました。親馬鹿ならぬじじバカの典型ですが。当時、相生に来た折その孫を連れて赤穂の御崎、室津、日生、牛窓などをよくドライブしました。観光ガイド書にはあまりページを割かれていないこの様な場所のことは関東に住む人達にはほとんど知られていませんが、来るたびに気に入るようになりました。赤穂温泉の宿にも何回か泊まりましたが眺望、風呂、料理など同じように海を望む伊豆半島の宿に勝るとも劣らぬものでした。赤穂に決めたのはその街並み、大和朝以来の歴史の足跡、ハーモニーホールや市立図書館、広大でよく整備された海浜公園、こじゃれたカフェや美味いイタ飯屋、手頃な値段の和食屋などの文化程度、買い回りの商業施設、高齢者には必須の医療施設などがあったからでした。人生の終盤を迎えた者には街のサイズも大きからず小さからずとてもカンフォタブルに見えました。それでも見知らぬ土地で果たしてやっていけるのか、若者はどこでも歓迎されますがよそ者の老人などが受け入れて貰えるのか、実際不安でした。そこでともかく住んでみようと貸家探しを始め、ほぼ1年後に気に入った住居が見つかり転居してきました。
ご夫婦で移住についてご意見の違いはなかったのですか。
家内とは移住先について、もともとあまり違いはなかったのですが、家内はまだ都会の雰囲気、利便性や友人関係に未練があり現住所の移転には乗り気ではなかったですね。最近注目されだしたようですが2ヶ所居住、一方はまあ別荘みたいな使い方ですかね、そうゆう生活もいいんじゃないかと…。先程お話しましたように私はもともと信州人ですし、東京には永年住んでその変化も見聞し、もういいかと…東京はリタイアした私にはスケールも大き過ぎました。大都市というのは若い人達、若くはなくとも仕事をしている人達が住むのに適しているところで、確かに仕事、文化施設、利便性などはハイレベルですが、高齢者にとってそれらはそんなに必要なものなのでしょうかね。高齢者にはそれぞれの身の丈に合ったダウンサイジングされた生活の方が快適だと私は思うんです。
6ヶ月間お試し暮らしをされたそうですが。
昨年2月、気に入ったマンションが見つかり赤穂暮しを始めました。仲介業者の案内で数ヶ所の物件を下見し、立地、眺望、間取り、共用設備、家賃などを検討して決めました。私は永年不動産、住宅関係の仕事をしていて、それに必要な資格も持ち物件の評価には慣れていましたから検討に時間はかかりませんでした。それから半年経過して赤穂の良さが実感できるようになり、赤穂に住む自信もつきましたので永住することを決めて物件探しを再開しました。幸運にも今度は気に入った物件が早く見つかり購入したわけです。
ふるさと納税をしようとしたことも移住のきっかけとも伺いましたが。
きっかけではないのですが2月から住みだして4月頃に市役所を訪ねました。市道、無料のごみ出し、水道の恩恵などを受けているのでせめてふるさと納税でもしようかと思ったからです。しかし市役所の窓口対応はあまり積極的ではなく、この町は財政豊かだなと思いましたね。塩田跡が工場立地となり税収が多いだろうなと(笑)…住民としては有難いことです。その後6月でしたかローカルミニコミ紙に市がふるさと納税者に提供する商品の提供を呼びかけているという記事がありましてやっぱりやる気になったんだなと(笑)…まあ、かっこつけているわけではありませんがここで生活する以上は高齢者ではあっても納税は勿論、ボランティアとか出来ることはするのが住民になるということだと思いますね。
東京の自宅は子どもたちがいずれ使いますが今は空き家になっています。3ヶ月に1度位の頻度で様子を見に行き短い間滞在していますが住民票も移してこちらを終の棲家とする積りです。
赤穂市のその後の印象はどうですか。
先程からの話の繰り返しになりますが私は十分調査した上でこちらに参りましたので印象に変わりはありません、お話した通りです。その上、故郷の信州松本と山と海との違いはありますがなんといっても風光明媚ですよね。かんぽの宿の下から海沿いの遊歩道を御崎まで歩き、御崎のカフェで小豆島を見やりながらお茶する、来客にも好評ですよ。近隣のばんしゅうロードで万葉岬、室津や新舞子へ、ブルーラインで日生や牛窓へと気軽にドライブも楽しめます。友人達にも一度遊びにおいでと吹聴しています(笑)。
赤穂の義士祭や坂越の船祭りも見ごたえがありますね。朝市も頻繁にありますし大石神社の骨董市も楽しみです。移住して1年、飽きもせず天気が良ければ毎日出かけています。市民体育館のジムにも通っていますし、市立図書館では坂越などの歴史を紐解き改めて古代日本史に興味津々、ル・ポン音楽祭にも行きましたよ。赤穂海浜公園は孫連れでなくとも楽しめますね、弁当つくってよく訪れます。あの規模の公園は東京周辺でも珍しいと思います。欲を言えば外周にサイクリングロードがあればと思いますが…。
話は変わりますが赤穂にはカフェ文化みたいなものがあるのですか、店数も多く結構年配
のお客さんが多いですね、自家焙煎というのも東京以上で驚きました。
赤穂城跡は松本城にはおよびませんが街に堀跡や石垣が残っているのは心和む風景ですね。わざわざ回り道して通ったりしています。
赤穂市で気に入らないことはありますか。
交通マナーの悪さは気になります。東京では黄色信号では普通のドライバーは停止しますが当地ではゴーですね。一度は停止した私の車を後続車が追い越して信号を突っ切ったことがあり一瞬何が起こったのか判りませんでした。イオンなど広い駐車場がありいくらも空いているのに入口に近い駐車できない所に平気で停めている車もありますね。関西電力の燃料石炭化についても市民の関心が薄いようで昔の川崎病など公害を知っている世代としては気になります。
今後赤穂へ移り住むことを考える人へのメッセージをお願いします。
私は移住を何年間も考え適地を調べながら80歳になって赤穂に決めました。正直言って、この先ここで何年生きられるか聊か遅きに失したと思います。移住の動機は各人各様でしょうが準備は50台後半から、事情が許せば65歳が移住の目途ではないでしょうか。特に海外をお考えなら早いに越したことはないと思います。海外でロングステイしその後赤穂という手もありますね。移住して1年、赤穂を選択して正解でした。
長野県、北海道、富山県もいいところですが温暖化とはいっても高齢者には冬の寒さが堪えます。赤穂は積雪も無くまずは温暖の地、過去の天災も限定的なものでした。若者には所謂田舎暮らしも結構ですが高齢者にはついてゆけないことも多く、その点赤穂の街は安心ですね。勿論赤穂でも田舎暮らしは可能ですが…。
今までお話してきた通り、赤穂は余生を送るに格好の地だとお薦めします。名物の牡蠣はそろそろシーズンを終わりますが、点在する山桜と三つ葉つつじがもう直ぐ山々を彩るでしょう。そうそう2駅先の相生には新幹線ひかり号も停まり東京へ4時間、山陽自動車道の赤穂ICも至近で岡山、姫路、神戸、大阪への交通もとても便利ですよ。
お問い合わせ